平成28年12月 39年目の新酒「愚州」発売開始12/7

閑静な環境の奥の松「八千代蔵」

市の中心部より安達太良山山麓へ5K進んだ塩沢地区にあり、気温も平均して

市内よりは7度ほど低い。

 

平成28年11月15日、八千代蔵で原酒桶の中から利き酒をして今年の「搾りたて生原酒=愚州」を選んできました。

今年の酒は甘辛度+1.8のいくらか辛めでキレの良い清酒を選びました。12月の第二週(予定7日)には瓶詰完了。

          絞 り   蔵の中は新種の香り

       奥の松 平成27年2月の「八千代蔵」--今年は雪が少ない--


                 蔵敷地内のあづま屋

---銘醸地二本松で---酒屋142年--

当店は昨今の社会情勢に鑑み「未成年者飲酒防止」「飲酒運転防止」運動に取り組んでおります。購入お申し込みの際、年齢確認をする場合があります。何卒ご了承の程お願い致します。 

 

安達太良山の恵み  ---水・米・酒 

 

  二本松は安達太良山東麓山地から二本松丘陵にかけ花崗岩類岩層が分布しており、安達太良山の雨、雪は40年をかけてこの岩層を潜り抜け清らかな良水となってこの地二本松に古来より種々の恵みをもたらしてきました。

 その一つがお酒造りで、昨今各蔵は評価高い美酒を産し銘醸地の名をいただいてております。 

                      上は刈入れ後の田より安達太良山。

 良水のあるところに良い米が生産され、良い米の出来るところに良い酒ができるという自然の循環の基に良酒を産しております。

蔵元は4軒、奥の松酒造㈱、㈱檜物屋酒造店(千功成)、 大七酒造㈱、人気酒造㈱です。

 当店は明治7年に奥州街道沿い総鎮守二本松神社隣に創業し、この銘醸地で生産されたお酒を,四季による酒質の移ろいと共に自信を持って全国へ拡販致しております。

   千功成は大半が地元で消費される地酒の中の地酒、他の3社は全国に向け出荷しております。中でも奥の松、大七の2社は「日本名門酒会」の認定を受け季節ごとに逸品の特別限定酒を生産しております。 

    春から夏は 夏の生原酒 奥の松純米吟醸生原酒、大七純米キモト生原酒

                              日本名門酒会)

    秋には   秋のひゃおろし奥の松純米吟醸原酒  大七純米キモト

                              (日本名門酒会)

    初冬には   寒おろし    大七純米キモト熟成酒--燗で燗上がり

                              (日本名門酒会)  

    冬から春は 搾りたて生原酒 各蔵から純米酒~大吟醸酒で入荷

 

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  安達太良山は二本松のシンボル

  高村光太郎の妻智恵子は二本松出身。智恵子の実家は造り酒屋で酒名は『花霞』でした。

      詩集「樹下の二人」で光太郎は智恵子の故郷をこう詠んでいます。

 

 あれが安達太良山 あの光るのが阿武隈川 

  

        ここはあなたの生まれたふるさと------

 

    あの小さな白壁の点々があなたのうちの酒蔵------

 

         安達太良連峰は南より北へ(左より右へ) 

 和尚山、安達太良山(乳首山)、矢筈(ヤハズ)、鉄山、箕輪山.右端に小さく鬼面山と続く

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       安達太良山の四季

 

 

 

 

 平成29年5月17日の山容  5/21は山開

          平成29年4月29日 絶好の行楽日和となりました。

   残雪もだいぶ少なくなりました。下界は萌え、田んぼには水が入りました。

      今年と昨年の山容比較

   平成27年4月19日    城址と安達太良遠望

      平成29年4月20日 桜は満開ですが昨日は大荒れの天気でした

                               山岳道路は降雪のため通行止め     

     平成29年4月14日 城址公園の桜はつぼみが膨らんだか

 

 

    平成29年3月 下界は厚い霧に包まれました 安達太良山は雲の上

                平成29年1月30日

               初冠雪 平成28年11月4日

        H28.10.2 山の恵みで豊穣の秋を迎えました

                夏の夕暮れ

提灯祭りと菊人形で盛り上がる---藩主丹羽様治世225年.十万7百石の城下町

「ダイド-ドリンコ日本の祭り」は長年にわたり全国各地の伝統祭りを取り上げ、応援してまいりましたが、2017年の応援する祭り35件の中に『二本松の提灯祭り』が選ばれ、只今インタ-ネットにより紹介中です。以下により検索の上、ぜひご覧ください。    2017.7.7

                           「ダイド-日本の祭り--2017応援35」

                   又はhttp:/www.dydo-matsuri.com/Iist/nihonmatsu/

   二本松の提灯祭り

二本松神社の秋祭りには300~340個の提灯を飾った太鼓台が7町内から繰り出すことから「二本松の提灯祭り」といわれております。祭礼は毎年10月の4.5.6日です。

二本松初代藩主丹羽光重公(丹羽家では3代)は「熊野宮」と「八幡宮」を合祀し現在地に遷宮しました。以後「御両社」と呼んで地元住民の総鎮守として敬神の心を育んでまいりました.

その後「二本松神社」と改称されました。 

7町7台の太鼓台は御両社の神輿渡御(みこしとぎょ)に供奉(ぐぶ)し、お囃子を奏して神霊を高め、領民の安全と健康を祈願し七町を練り歩きます。

 

          福島県指定重要無形民俗文化財です(平成23年6月10日)

                    指定名称

                 「二本松の提灯祭り」

                   保護団体名称

              「二本松神社例大祭提灯祭保存会」

                    指定 事由

  二本松神社の祭りには、多数の提灯を飾った太鼓台が本町・亀谷・竹田・松岡・根崎・若宮・郭内の7町内から1台ずつ繰り出すことから「二本松の提灯祭り」といわれている。

 祭日はかって旧暦8月14日から3日間であったが、大正7年からは現行の10月4日から6日までの3日間となった。

 この祭りの起源は寛文4年(1664.6/24)に、町内の神社の祭りに神輿を出し、神楽太鼓を打ったのが始まりとされており、寛政3年(1791)には郭内を除く6町内が「太鼓台」で笛・鼓・太鼓による囃子を奏し、歌舞伎人形を飾ったという記録もある。

 宵祭り(10月4日)の午後には町境で「呼び起こし」を行う。呼び起こしは二本松神社祭礼実施を告げる神事行事で、二本松神社を起点にして町境ごとに東西に順送りで伝達される。この呼び起こし行事は終戦直後までは、神様がお出ましになる5日の午前2時から行われていたため「朝祭り」ともいわれ、この祭りの特色の一つであった。この行事を平成21年から時間を変更して復活した。

 「提灯祭り」の原点は真夜中のこの呼び起こし神事に「明かり」として提灯(神の依代)を使った事に始まり、昨今のように多くの提灯を付ける様になったのは明治以降と言われております。

 夕方には、社殿の篝火の火で提灯を灯した各町内の太鼓台7台が、本町と亀谷の境にあるロータリ-から本町を先頭にして出発し、各町内をまわる。

 本祭り(10月5日)では、二本松駅前広場を各町内の太鼓台が出発し、宮詰めといって二本松神社参道の石段下に整列する。お神輿をお迎えしその後神輿を先頭に各町内のお旅所を巡り市民の安全安心祈念する。

 太鼓台は神輿渡御へ供奉(ぐぶ)し、お神輿をお守りするとともに、お囃子により神霊を高める

 後祭り(10月6日)は、夕方に社殿で後鎮祭が行われ、その後7町内が二手に分かれ、当該町内を引き回し、日付が変わるころに各自の祭典事務所に戻って、3日間にわたった祭りはすべて終了する。

 この祭りの主体である町内会や若連の組織は伝統をよく守っていて、運営も厳格である。「呼び起こし」も、県内ではまれに見る習俗である。また、囃子の曲数は比較的多く、変化に富んで伝承も確実である。神事・囃子ともに地方色が濃く、福島県を代表する祭りの一つとして高い価値がある。     

                                                                                               (指定原文、赤文字は店主注)

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 当店はこの祭典の保存伝承に永年深く関わっており,祭典の意義、歴史、経過, 運行等に関すること、また祭礼当日の宿泊所など「お祭り」に関することはお問い合わせ下さい。                                                   ℡0243-23-0015 fax0243-23-0488

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    大正七年頃の10/5本祭り「神輿渡御」出発の様子

    (祭の開催日は本町大火以来、夏の8/15から秋の10/5へ変る)

            神社を出て当店前を出発

 高く掲げる提灯を「杉なり」と呼び、神の降りてくる「依り代よりしろ」です。

太鼓台のお囃子により神霊を高め、領民の健康安全を祈願して市内を巡行します。又御霊(ごりょう=不本意な死を遂げた霊)も降りるのでお囃子により慰め鎮めます。

 

       二本松神社

二つの神様をお祀りしている二本松神社の祭礼中の献灯群。市民の思いが奥の院まで150数灯続く。

右,上座は領民の安泰を願う「熊野様」の献灯提灯、ご紋 は「左三つ巴」

左の提灯は丹羽家の守護神「八幡様」の献灯提灯、ご紋は「丹羽筋違い」 。 すじかい( すじちがい)は「直違」とも記されるが、二本松では小唄に「丹羽様ちがい棒の旗印」と詠まれています。

       写真は祭礼中の奥州街道に面した二本松神社正面(当店は右隣り)。

 

 

 

     二本松の菊人形

昭和30年より開催され、城跡公園を会場に大規模に行われ、その名は全国に広まり「西の枚方(大阪のひらかた市)東の二本松」といわれてきました。

 紅葉が盛りの時期はバスなども遠来から来松し大勢の人でにぎわいます。

 

 

 

    

   

     当店オリジナル商品

     蔵出し生原酒「愚州(ぐしゅう)」

          について

酒名『愚州』は二本松藩の御用絵師の名前、根本愚州が由来です。藩命により江戸にて谷文晁に師事。

ふなくち酒のレッテルの背景は愚州の描いた「三教図」--孔子、釈迦、老子--三聖人酒壷の図 です。三教は究極においては一致するとの思想から画題に取り上げられてきました。

禅語に「可及其知不可及其愚」--其の知には及ぶべきも、其の愚には及ぶべからず--

『お利口になれても、馬鹿になるのは難しい』とあります。

悟りを得た後のしたり顔や、慢心の臭いなどを戒めた心境を名前に示したであろうと推察し、郷土の絵師の名を酒名としました。

        愚州の人物画は珍しい        1.8L2570円  900mL1320円

 

       詳しくは ●おすすめ商品--ふなくち酒「愚州」をお開き下さい

 

『愚州』本人に関して

文政11(1831年)藩主丹羽長富公の命を受け江戸へ。入門した谷文晁に気に入られ、一字を与えられ「文英」と号しました。その後天保5年江戸を後にし伊勢、伊賀、大和、大阪、長崎、熊本に至り加藤清正公の祭礼の折、清正公の幟を描いたところ評判となり愚州固辞するも熊本藩が絵師として300石で召し抱えることとなりました。

帰国を許されない愚州を二本松藩九代藩主長富公は熊本へ藩士を送り、彼を罪人として捕らえ二本松へ帰還させたといわれております。息子も絵師となり『愚渓』と名乗り江戸に在住しました。(HP)

          奥州10万石   霞ヶ城 散歩

 

 丹羽家初代長秀公(妻は信長の兄の娘=めい)は織田信長に仕え北陸小松を含めて若狭、敦賀にまたがる120万石の太守でした。

 しかし天正10年本能寺の変で信長が没してから、時代の流れで秀吉により所領を10分の1に減らされました。
 また二代長重公(妻は信長の娘で徳川秀忠の妻おごうとはいとこにあたる)は関ヶ原の戦いで豊臣方に旗織を明らかにし、徳川方の前田利長と小競合いをして関ヶ原に行かなかった為に戦後処理で改易となりました。

 徳川二代将軍秀忠の代に常陸の国古度(ふっと)1万石で大名に復活し棚倉5万石(長重1622年)、白河10万石(長重1627年)、二本松10.7万石(1643年)と出世します。

         二本松藩初代は丹羽家三代目の丹羽光重公です

家康は「関ヶ原の合戦」の不参戦者としては異例の扱いで長重公を取り立てました。一説に秀忠の正室お江の方(おごう.長重とは従妹)の力とも言われておりますが、安土城普請奉行に始まる丹羽家の築城技術の集積が復活の力となったことは確かである----と伝えられております。

        二本松「霞ヶ城」でその築城技術をとくとご覧下さい。

若い頃の秀吉が丹長秀公と田勝家のへんきを受けて「羽柴秀吉」と名乗った話は有名です。丹羽光重公も徳川家光より「光」のへんきを受けております。

 また全国統一を目指した織田信長の五大将の中で徳川幕府終焉まで大名で残ったのは丹羽家みであった事は特筆すべきことです。  

※ へんき=功績の有った者に自分の一字を与える  ※ 丹羽家.徳川家共に現当主は18代(H27)

※ 光重公の姉は播州赤穂藩初代浅野長直の正室.忠臣蔵の浅野匠頭長矩は赤穂藩3代目.

※ 信長五大将=丹羽長秀公の他柴田勝家、明智光秀、滝川一益(四天王)羽柴秀吉

   長秀公は他の四武将に比し武勲は地味でしたが、正室が信長の姪であり信長は主にt対内的な要  

   職に登用しました。安土城の普請奉行(城内構造の全てが解かる)を任せたのはその一例です。

 

 

 

                                                  城址公園は桜の名所

 

  今年(平成28年)の秋バ-ジョンポスター

        平成28年7月7日 この時期一面蓮で覆われた池 ↓

                 平成28年4/12 ↓

                花吹雪で池に彩り4/12 ↓

               平成27年4月19日

         山頂の天守台石積みより下の箕輪門まで全山桜一色

         10月から始まり11/23で終わった菊人形 ↓

      平成27年11月10日 城址公園内の紅葉始まる ↓

        箕輪門 1868年戊辰戦争で消失し昭和57年に復元(114年ぶり)

           大七酒造では大吟醸酒に「箕輪門」を酒名としています

    箕輪門前に建てられた「二本松少年隊出陣」の像と、送り出す「母」の像

         二本松藩の剣法は「突き」。出陣する「我が子」の衣服に名前を縫い付ける母。

赤穂事件浅野長矩公(光重公の姉の孫)の松の廊下の刃傷事件を聞き光重公は「なぜ突かなかったのか」突けば仕留めたものを、と激高したと言われております--

           丹羽光重公の姉が赤穂藩浅野家初代の正室。

              箕輪門 <みのわもん>内側より

                平成27年1月30日

             茶室 雪の「洗心亭」 

             相生(あいおい)の滝  冬季は水量が少ない

                  笠 松 (かさまつ)

山頂の上下石垣 下段は畠山時代の野面積み(1414築城)  平成26年は築城600年でした





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 12L 1500円

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大七酒造より1タンク限定品

   (2008醸造年度)

  黄金色の純米古酒

  アルコール度15度

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  原料米  五百万石

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   ラクビ-ボール状の米粒を精米する際、従来の精米機では余分な部分まで削る為、米粒

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       新発売

   二本松産の青リンゴワイン

     500mL 1200円

●「奥の松」の本格焼酎ハナタレ 720mL

  ハナタレとは焼酎を蒸留するときに垂れてくる初溜部分のこと。

  全蒸留のうちほんの僅かしか取れない希少な焼酎です。

 

               本体価格

左は  02 麦焼酎  44度 

    原材料 麦、麦麹   5000円

中は  01 芋焼酎  44度 

    原材料 甘藷、米麹  5000円

右は  07 大吟醸粕取り焼酎 36度

    原材料 清酒粕    5000円

旬の酒----季節のお酒